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■ クルト・ネフさんのこと |
1926年 |
1957年 《ネフスピール》が誕生する。当初は自分の店で販売するためだけに、作られていたが、他店より引き合いもあり、多くの人の手に渡るようになる。するとネフ氏の小さな工房は手狭になり、馬小屋を改造した工場が出来、本格的な玩具作りが始まる。《ベビーボール》《カウリング》などがここから生まれた。 |
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●ネフスピール | ●ベビーボール | ●カウリング |
1967年 1971年 1974年 1980年代 1989年 1997年 1999年 |
2000年 イタリアやドイツの玩具メーカーでも作品を商品化。 |
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●ムルティポ/独ジーナ | ●ビナリオ/伊レシオ | |
この年の7月には芦屋市立美術博物館主催の『クルト・ネフ/デザインとおもちゃ』展が開催され、約300種、500余点が展示され期間中1万人をこえる来場者を楽しませた。 (ミニネフスピールはこの展覧会を記念して作られプログラムに加わったもの) |
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●ミニネフスピール |
2002年 義息エンゲラー(Hans Peter Engeler)氏を中心とした新しい経営陣を迎え、フランスからスイスへ居をもどしていたネフ氏も改めてネフ社運営に力を貸すことになる。 2003年 ネフ社がツォフィンゲン(Zofingen)に移転する。 |
2006年 スイスの出版社より氏の初めての美術書「Kurt Naef - The Toymaker」が発刊される。 |
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●Kurt Naef - The Toymaker | ||
11月30日夕刻(日本時間12月1日早朝)、ツォフィンゲンの病院にて永眠。(享年80) | ||
●ツォフィンゲンの街並み | ●ネフさんの眠る共同墓地の丘 |
(上記年表につきましては(株)アトリエニキティキHPを参考にさせていただきました) |
2004年、ネフ製品の輸入元であるアトリエニキティキの企画に他の玩具販売店の方々と一緒に参加し、ネフ社を訪問する機会を得ました。その時ネフさんとお会いしたのが私にとっては最初で最後のことでした。
その時は工場だけでなくネフ社内にあるネフさんの工房も案内していただき、「これからはハンディキャップを持つ人たちが遊べるものを作っていきたい」と構想中の新製品について熱く語ってくださいました。
その時ネフさん78歳。
経営者としてではなくひとりのデザイナーとして充実した時間を送っておられるんだろうなと感じたのを覚えています。
また、昼食をご一緒したときには私の年齢を尋ねられ、私が答えるとそれより若くみえたようで、びっくりした顔をして、突然「Passport please!」と、おどけて右手を出し冗談をおっしゃる、ユーモアたっぷりの方でもありました。
それから、その時身につけておられたあるメーカーの腕時計の話に及ぶと、「ものというのは機能だけではだめ、デザインも大事だ」と真剣なまなざしでお話しされ、おもちゃだけでなくまわりのものすべてにそういう目をむけて生活されている様子が目に浮かぶようでした。
そして帰国後、その時に撮った写真をお送りすると、わざわざ私の自宅にお礼のお手紙をくださいました。心配りも細やかな方でした。
ネフさん亡き今、これからもネフ社が子供にぜひ与えたいおもちゃを作り続けてくれることを願ってやみません。(F)
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