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おもちゃの選び方
おもちゃを選ぶときどのように考えていますか?
世の中で手に入るおもちゃには実に様々なものが存在しています。
多種多様にわたりあまりにも多すぎて、何をどのように買えばよいのか分からないのが普通かもしれませんね。
では、ここでちょっと考えてみることにしましょう。
まずは現在簡単に手に入れることのできるおもちゃにはどのようなものがあるかというと・・・
キャラクターなどの人形、電池やゼンマイを利用したものに代表される動いたり、光ったり、音が鳴ったり・・・、さらにはもっと機能が発展したものなど、ありとあらゆるものが年々増えてきています。
その中のすべてが、ということではありませんが、最初楽しそうに遊んでいても数日後には見向きもしなくなっているのです。
これはどうしてなのでしょうか?
こういったおもちゃは、使う人が何かを仕掛けることにより音が鳴ったり動いたりという、いわば《結果》が貰えるのですが、毎回毎回同じことの繰り返しで、遊んでいるうちに答えがみえてきてしまうので、そのうち面白くなくなってきてしまうからなのです。
こういったおもちゃの本質は今も昔も変わらないため、年齢が高くなっても次から次へと、同じタイプの遊びなのにただ新しいというだけのおもちゃを欲しがってしまう結果になってしまいます。
木のおもちゃにもこういったタイプのおもちゃが存在します。
これらのおもちゃを一生懸命遊んで理解しようとする時期があります。
一般的にお座りが出来たころから1歳前後にかけてです。
(必ずしもこの時期というわけではありませんので、この時期にしなかったからといって慌てたり心配する必要はありません。)
この時期の子どもは最初、お父さんお母さんに動いているところを見せてもらうことから始まります。
一度動きを確認すると今までにない動きや音に喜びます。
そのうち手が出てきて、動いているビー玉などを取ろうとするのですが、取れそうで取れず、手が届いたときにはビー玉はいつもちょっと先を動いている。
頑張って頑張ってやっと取ることができた。
嬉しくてたまらないと思います。
ビー玉などの動く物体を手に持って、それが入りそうなところに何とか入れてみる。
がたがたころころ程よい音を立てながら物体が落ちてくる。
物体が一番下に降りてきて無事着地。
終了。
このようなおもちゃをぱっと見て、なんとなくこうすればよいのだと見当のつく人にとっては、なんとなくちょっと遊べるだけのおもちゃですが、このお座りが出来たくらいからの時期の子どもにとって、このおもちゃの役目は間違いなく《主》の遊びです。
指先がまだ器用に動かすことが出来ない時期にはこの動作は結構難しいのです。
頑張って、頑張って、ようやく何とかできるようになって、最初はうれしく、時にはできない事もあり、何回もチャレンジするうちに完全にマスターする、そうなった時ひとまずこれらのおもちゃのお役目は一旦終了になります。
電池などで動いたり光ったり音が鳴ったりするよく目にするおもちゃと、このようなタイプの木のおもちゃは同じような役割のようにも思えますが、明らかに異なる点があります。それは構造が目で見てどのようになっているのかわかるかどうかという点です。構造や仕組みがみえると、どうして答えが得られるのかという事がはっきりしますし、壊れたときもどこが壊れたのか確かめやすいと共に、補修することも可能なのです。
では次の一手に必要な遊びは何でしょう?
また同じような遊びのおもちゃでしょうか?
それでは先にお話したような事と同じになってしまいます。
整理されているときはただの部品だけれど、何か仕掛けることにより形作られるもの。形が出来ても、壊すと元の部品に戻り、次に作るときはまた別のものが出来る、というような、いつも答えが違うものが必要であり、楽しい遊びにもなるのです。
積み木遊びや、ままごとなどのごっこ遊び、レールセットなど、少し考えてじっくり遊べ、発展性のあるおもちゃがその代表となります。
積み木を並べる。積む。そのうちある法則にしたがって積み重ね、並べる。
あるときすごい発見がある。その発見が嬉しくて、楽しくて、更に高度な遊びへと発展していくのです。
ままごとでは毎日の献立を考えるのと同じように考え、材料を考える。
毛糸はパスタに、紙はちぎってサラダに、ビーズはご飯にと見事に変身する。
レールセットは汽車を転がす、車両をつなげる、レールをつなげる、レールの上を走らせる、町が出来上がる、という発展があります。
それぞれの詳しい遊びはこのページでお話しするにはあまりにも長くなりますので、ここではこの辺りまでとして省略することにいたしますが、こういった種類の遊びには無限の広がりがあり、この種の遊びこそが《主》の遊びとなるのです。
では昔《主》で、お役御免となったビー玉が落ちてくるような動きのあるおもちゃなどは必要ないのでしょうか?
これら昔《主》の遊びだったおもちゃは実は完全にお役御免となった訳ではなく、これまで《主》の遊びだったものから仕事の合間のコーヒータイムのような、食事で例えるなら、主食に対しての副菜のような、食事に対してのおやつのような《従》の存在に変わるのです。
考えることは必要とせず、ちょっとの間ボーっとできるような、癒しともいえる優しいおもちゃになるのです。
おもちゃはこのように大きく分けてこの2種類に分けることができ、その《主》的な遊びと《従》的な遊びをうまく取り混ぜて遊ぶことが必要なのです。
同じ種類のおもちゃばかりバリエーションをたくさんそろえる必要はありません。
少数精鋭でよいのです。
(これは量ではなく数(種類)の事です。積み木の量やままごとの具となる部品などは沢山あればあるほど楽しくなります。)
今、子どもの周りにあるいろいろなおもちゃはどちらかに偏ってはいませんか?
ちょっとしたことですけれど、このことはとっても重要です。
この《主》と《従》の関係を頭の隅に置いていただき、おもちゃを選んでいただく際の参考にしていただけたらと思います。